2016年12月5日月曜日

一日も早く島を返して


紙智子 参院議員
 「国会かけある記」

 千島歯舞諸島居住者連盟の前理事長の小泉敏夫さんが亡く
なられました。享年93歳でした。ちょうど、私の父や母の
世代です。お通夜には、畠山和也議員と参列しました。
 私が小泉さんと出会ったのは、2001年に初当選し、
沖縄・北方特別委員会に所属したときです。
 毎年、北方領土返還の署名を携えて国会に来られます。
いつも温厚で物腰が柔らかいけれども、強い意志を感じて
きました。
 狭い船に揺られての墓参は、平均年齢が70歳を超える島民
には、大変きついという声を聴きました。私は、高齢の方でも
安心して乗れるバリアフリーの船を用意すべきだと質問し、
議員連盟の取組ともあいまって、「エトピリカ」と言う新船が出来たときは、とても
喜んでくださいました。
ビザなし交流事業で、色丹島に渡ったときは、小泉さんのお孫さんと一緒に
なりました。
自分が生まれたルーツ、おじいちゃんの生まれたところに一度行きたいと思っていたと
言われます。色丹島は自然がそのまま残る風光明媚(めいび)なところです。
 終戦直後は、「ソ連軍が攻めてくる」と言われ、着の身着のままで逃げた島民。
いずれ帰ることができると考えていたのに、70年経っても帰れません。なんと理不尽
で納得できないことと言われ、私も胸が痛くなりました。予定されている安倍総理と
プーチンロシア大統領の会談は、あまい見通しが見込めないなかですが、一日も早く
島を返してほしいという願いを実らせたい、と願わずにいられません。